豊島区在住アトレウス家 初演パンフレットより

『豊島区在住アトレウス家』初演(2011年9月13日〜18日)の当日パンフレットに掲載した文章です。体験後に読んでもらえるよう、お帰りの際に配布しました。
(その後アトレウス家のコンセプトブックに再録)

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3月11日の震災以降、それまで見えていなかったものがつぎつぎと見えるようになっています。原子力の問題にしろ、政治の問題にしろ、あの日以降新しく生じたのではない、むしろずっと前からあったのに見えていなかったのだ、という思いにとらわれています。

昨年度墨田区で展開していた「墨田区在住アトレウス家」の最後の公演が震災の影響で中止になったあと、ある本を読み返していました。市村弘正/杉田敦『社会の喪失』(中公新書)という本です。そのなかで「見えない戦争状態」ということがいわれています。原発や薬害、年間3万件を超える自殺など、われわれは平時においてすでに戦争状態を生きている。それはたんに見えていないだけで、ふだんからずっと続いており、たまに事故などの際に突然見えるようになるにすぎない、というわけです。それを読みながら、エレクトラの父アガメムノンが出向いたトロイア戦争は、いまならばそういう「見えない戦争」なのではないかと考えました。

われわれは、最後の作品を中断したまま墨田区の家を引き払いましたが、縁あってこの豊島区の公共施設で新作をつくることになりました。アトレウス家のプロジェクトは、ギリシャ悲劇の一家の物語を手がかりに、家やまちを再発見していくものです。劇場公演とくらべ、場所への依存度がものすごく高いので、場所が変われば一から作りなおすことになります。

公共施設にどうしたら居心地よく住めるか、ということが関心の対象になりました。いまも続いている被災者の避難生活をわれわれが取り上げることはできません(したくありません)。けれども、3月11日の夜に都内のあちこちに突如出現した、東京の避難所のことが頭から離れなくなりました。墨田区の家(その日は公演を5日後に控え準備中でした)から都心を横断して帰宅する途中、卒業式の飾りつけがされた体育館で、靴を脱いで、味噌汁を飲ませてもらったあの時間。近い未来にも東京で起こりうる避難生活。

公共施設で「住まい」や「居場所」について考える「問いのかたち」をさぐっていくうちに、演劇というよりは展示に近いものになりました。演劇には時間と空間を変形させる力があります。劇場という「何もない空間」で、「出し物」をつくって「見てもらう」こともできますが、そうではなく、現実のまちや建物のなかで、時間と空間をほんの少し変形させることによって、何かを感じてもらうこともできるのではないか。

今回はこれまで以上に多くを観客のみなさんにゆだねています。上に書いたことも作りながら私が考えたことで、答えではありません。

本日はご来場ありがとうございました。

長島確

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